2人とゲストの絆を強め、2人のこれからの人生がよりよきものになるよう結婚式文化がない島で、島に住む人たちとゼロからつくり上げた最高の一日
ブライダル会社で経験を積んだ後、八丈島へ移住。その後愛知に戻り、再びウエディングプランナーとして日々奮闘。大切な人が増え続けるこの仕事に日々感謝。夢は日本の有人島を制覇すること!
新婦が移住し島での新生活を始める2人。
居場所が見つかる結婚式にすべく、ゼロからの準備に奔走!
都内から島へ移住した新郎は、以前私が八丈島に移住していた当時の元同僚でした。新婦は東京の医師で、結婚を機に島への移住を決意。2人の希望は、島と本島のゲストを招待し、海が見える場所での、島特有の自由参加型の式でした。嬉しそうな新郎と、移住に不安をのぞかせる新婦。「2人が人とのつながりを感じ、居場所を見つけられる日に」が、私の軸となりました。
八丈島には式場がなく、花も備品も料理もスタッフも、ゼロから揃える必要があります。本当の意味で2人を島の⼀員として受け⼊れてもらうため、島の人たちだけでの結婚式づくりにこだわることにしました。まずは会場探しです。やっと見つけたのは、物置化している旧レストラン。司会やサービス、音響は地元の知り合いに、料理はホテル、飲食店、婦人会に依頼。テーブルクロスはホテルから借りたベットシーツで代用し、椅子やテーブルは物置から担いで搬入。島には結婚式ができるお花屋さんがないため、山へ入って花材を集め、会場づくりをしました。
島のゲストと本島のゲストを分けて2部制に。
それぞれのミッションをクリアして得た、絆と安心感
気になったのは、自由参加型のスタイル。島のゲストと本島のゲスト、2人がそれぞれに届けたい気持ちは違うはずです。異なる想いを自由参加型の結婚式で伝えることには限界があると考え、2部制を提案。島と本島のゲストを分けることにしました。
もう一つの大きな気がかり。それは島のスタッフと私の⼼の温度差。2⼈と島を繋ぐために、関わる⽅全員が同じ温度で結婚式を創りたい。⼒を貸してくれるスタッフに、あなたは⼤切な存在だと伝えたい。そのために大切にしたのは、常に笑顔で前向きでいること・感謝を言葉にすること・相談ベースで話すことでした。結果、「こうしたらどう?」とスタッフから意見をもらえるように。気づけば、同じ温度で話せる仲間ができていました。
当日、島のゲストを呼ぶ1部での使命は、「2人を受け入れてもらう」こと。交流のため席は決めず、自由な空間で距離を近づけます。2人が島で暮らしていく決意を伝え、島の人からアンサーをもらう時間も設けました。「一緒に島を盛り上げよう」「いつでも助けるよ」の声に、涙を流す2人。
2部では「島を知ってもらう・2人の気持ちを伝える」が使命です。本島のゲストだけにすることで、素直な気持ちを伝い合える空間に。「いつでも帰ってきて」の言葉に、私には帰る場所があると、⼼強さを感じる時間に。クライマックスでは1部のゲストも巻き込み、輪になって踊る島の伝統文化を。「歩んできたこれまでの居場所はなくならない、新しい居場所が増えただけ」とその想いを届けます。新婦からも「私にはみんながいるから大丈夫だと選んだ道を肯定でき、第⼆の人生が楽しみになった」との言葉が!
居場所とは、人を想う気持ちとつながりでできているものなのだと強く感じました。
- 八丈島で作り上げた新たな可能性。1人でも欠けたら成し遂げられなかった結婚式となりました。
未来に繋がる⽇ 「これからも私たちは⼤丈夫」
2人がそう強く思える結婚式を
島の⼈から「島の新たな可能性が⾒つけられた。いつかまた⼀緒に作ろう」との⾔葉を。「ないならどうする?」を追い続け、諦めずに進み続けたからこそ⾒えた世界でした。
1⼈も仲間がいないところからスタートした結婚式。⼼が折れそうな時、⽀えてくれたのは⼤切な⼈たちの存在でした。私には居場所があると感じた時、⼈は強くなれます。結婚式を通して新郎新婦にも、⼤切な⼈の存在を感じ、「これからも私たちは⼤丈夫」だと未来を信じて進んでいけるそんな⽇を創り続けたい。この想いが、私が結婚式をつくる原動⼒です。
- 披露宴のクライマックスには八丈島の伝統文化を取り入れ、距離という垣根を超えて一つになった瞬間です。
評価のポイント
結婚を機に生活環境が変わるという新郎新婦もいるでしょう。福岡さんは、島に移住すると決めたおふたりの人生の選択を正解だと感じてもらえるような結婚式のあり方を描かれました。島の中だけのものを使い結婚式づくりを行っていくことに意味があるとし、高い熱量で働き掛けるその姿に誰もが心を揺さぶられたと思います。福岡さんが生みだした幸せの輪は、ふたり・ゲスト・地域の想いを結び、おふたりや島の未来へときっと繋がっていくでしょう。