二人の歩んできた過去、結婚式という現在、
夫婦で歩んでいく未来を結ぶのが、私の役割。
プランナー歴4年。お客様とのコミュニケーションは「近すぎず、遠すぎず」の距離感を保つことを常に意識。会話の中に、自分のプライベートの話を交えたり、自分の想いをお伝えしたりと、自己開示を必ず行う事を心がけている。
「どうしても、桜の季節の3月に結婚式をやりたかった…。」
二人との出会いは2010年8月。結婚式のお日取りとしてお申し込みになったのは、翌11年3月26 日でした。小さい頃から桜の季節に結婚式を挙げたいと、強く憧れていた新婦。その夢を叶えたいと願う新郎。当館敷地内にある大きな桜の木と、会場のコーディネートを桜色にする提案を気に入ってくださり、準備を進めてきました。間もなく当日を迎える喜びで溢れていたその時、あの東日本大震災。その後の打ち合わせで、新郎の実家がある福島県から呼ぶゲストの皆様の交通手段がなく、今この時期に結婚式をするべきかという迷いもあり、結婚式の日程を、11月に変えようと思いますと、新郎がおっしゃいました。その時、ずっとうつむいていた新婦が、とても小さな声でこう呟き、泣き崩れました。「桜の季節に入籍する。入籍日は結婚式を挙げる日にしたかった。3月26日は大切な日だった。」その一言が、私の心を動かしました。二人は、3月26日を、悲しい日として位置づけてしまっている。桜の季節が、素晴らしい過去とならなければ、8ヶ月後の結婚式の幸せも薄くなる。この日を幸せな日に生まれ変わらせることはできないだろうか…。
- 畑での食物栽培という二人の趣味から、土を掘るという二人らしさと桜にヒントを得て、桜の木の下にタイムカプセルを埋めることをご提案。桜が咲いてなくても、8ヶ月後の自分たちへの手紙を掘り起こすことで、桜ウエディングを11月まで繋げました。
二つの時間を幸せにつないで、二人の未来へ繋ぎたい。
そこで、3月26日に、日付が刻まれた指輪をチャペルで交換する「指輪交換式」をご提案しました。そして、8ヶ月後の未来の自分たちへ向けて、今の気持ちを手紙に書いてきてくださいとお願いしました。辛いこと、悲しいことはすべて心にしまって、11月26日への新たなスタートを切ってほしい。そう願い、二人にタイムカプセルもご提案しました。
指輪交換式の日。二人にはサプライズで、新婦の両親をお呼びしていました。福島の新郎の親御様を気遣われながら、代表して立会に来てくださいました。二人がチャペルに入ると、ご両親が拍手で迎え、二人は笑顔になりました。 指輪を交換し、この日に向けて準備していた桜のウェルカムボードを飾り、青い空の下、たくさん写真を撮りました。最後に手紙を入れたタイムカプセルを桜の木の下に埋め、二人は晴れて夫婦となり、11月の再会を約束したのです。
- 3/26に日付の刻まれた指輪の交換式を実施。新婦の両親がサプライズ登場し、二人も笑顔に。
桜を見るたびに、結婚式を思い出す。そんな未来に語り継がれていく結婚式。
11月。この日は澄み切った秋空。二人の待ち焦がれた、結婚式当日。ドレスとタキシードを着ても、実感がわかず、二人は不思議だねと笑っていました。挙式と、たくさんおめでとうの祝福を受け、新婦は涙されました。ここでやっと、みんながいると実感したそうです。桜ウエディングのフィナーレ。タイムカプセルを3月26日に埋めたことを皆様にお伝えし、二人は桜の木の下へ。二人の当初の夢を知ったゲストの皆様も一緒に立ち会い、タイムカプセルが掘り起こされた時には、全員が一つになり、二人を拍手で包みました。桜は咲いていないけれど、そこには幸せに満ちた二人。二人の書いた手紙に綴られていたのは、人の心の暖かさを知り、感謝に尽きるということでした。 披露宴の結びに、お二人が嬉しい一言を言ってくれました。前向きに進んできたからこそ、感謝をたくさん伝える結婚式ができ、二人の未来を作れた―これから共に歩んでいく未来に向けて、お二人は夫婦として成長されました。桜の木の下に埋めた過去が、現在へ、そして、未来につながったのです。
語り継がれる幸せを
桜を見ると、私は二人を思い出す。二人は桜を見ると、結婚式を思い出す。この桜のように、毎年思い出し、未来へと続く、そんな結婚式を作っていきたい。そう願っています。お二人の歩まれてきた過去、結婚式という場でたくさんの方々より祝福を受ける現在、そして夫婦として歩んでいく未来。この3点を結ぶことこそが、私の役目だと思っております。だからこそ、お二人にとって必要な現在、必要な未来は何か、ヒアリングし、プランニングすることを大切にしています。
審査員の目
「11月に桜ウエディングをする」という難題をご自分に課した芳賀さん。その答えはなんと、桜の下での「指輪交換式」とタイムカプセルでした。通常の結婚式の範囲や常識にとらわれず、新郎新婦の願いの本質を考えぬいた結果としてのこの提案は、芳賀さんならではの素晴らしい発想力あってのものでした。(2012年10月22日更新)