社内外の人々を一人ひとり口説き落とす、熱いパッション。
諦めない強い気持ちが叶えた寺挙式、ドレス、父のサプライズ。
ホテルマン20年、ウエディングプランナー歴11年目となります。お客様に寄り添うサービス、そしておもてなし日本一を目指し、精進邁進中です。最近では、フルマラソンに出場し、日々心も体も鍛錬しております。
どうしても諦められなかった両家に縁のあるお寺での挙式と
お母様が作るはずだったドレス
真面目な新郎と、「家族全員で結婚式をしたい」という夢を持つ新婦。新婦のお母様は1年半前に他界され、迷いながらも「お世話になった方々に、感謝の気持ちを伝えたい」と決意された結婚式でした。
当館での神前式予定でしたが、偶然にも新婦のお母様と新郎のご両親が同じお寺に通われていたと発覚。両家の思い出が深いお寺での挙式こそ「家族全員」の夢が叶うのではと思い、式までは1カ月、招待状も発送済みでしたが、2人に提案しました。しかし2人はすでにお寺に断られていたのです。私は諦められず、お寺へ急行。やはり断られましたが、2日かけて説得する中、紛失したはずの結婚式の道具一式を住職が発見。結果、根負けした住職が快諾してくれました。当日はお母様が見守る中で支度できるよう、自宅での着付けを手配。お母様と共にお寺へ向かうことができました。
一方、お母様の夢は娘のドレスを作ることでした。しかし生地が見つかった頃、病気はすでに進行。「自作の時間もないので諦めます」と目に涙を浮かべた新婦を思うと私は諦められず、数社へ交渉に出向き、タイトな期限ながら引き受けてくれる会社を確保!ドレスが仕上がったのは、なんと本番1週間前でした。お父様・写真のお母様・ドレス姿の新婦の3人での再入場。新婦の「家族全員で」が叶った瞬間でした。
- お母様の想いを形にしたドレス姿での再入場。お父様、写真のお母様とともに、『家族全員で』が叶った瞬間でした。
口数が少ない新婦のお父様
うまく伝えられない想いはすべて歌の歌詞に乗せて
「母が亡くなって父が喋らなくなった。結婚式をどう思っているんだろう」という新婦の言葉が気がかりだった私は、前撮りの日、お父様にいろいろ話しかけてみました。そこで想いを素直に伝えられないお父様の複雑な胸の内を察しました。少し打ち解けあい、「娘さんにサプライズしませんか」と切り出したところ、お父様はまた喋ってくれなくなりました。それでも諦めきれず、私は帰宅するお父様の車に駆け寄り、「手紙などで、披露宴で娘さんに気持ちを伝えてみませんか」と再度訴えました。するとお父様は「いい案があったら教えてほしい」と、携帯番号を教えてくれたのです。
その後2人で打ち合わせを重ね、言葉で伝えるのは恥ずかしい想いを、歌に託しては?と考えました。そして探しに探し、私が見つけたのは「バトンタッチ」という歌でした。
「世界で一番 愛しい人 生まれてくれて ああ ありがとう」
「おめでとう」の言葉も綴られた歌詞には、お父様の想いがそのまま投影されていました。歌とともに新郎へバトンタッチされた時、「おめでとう」と言っているのが離れていてもわかりました。
私の元へ近寄り、照れくさそうに「言えたよ」と親指を立てたお父様。送迎後、「妻が亡くなり、結婚式に前向きになれずにいた。でもこんな風に送り出せてよかった」と抱きついてくれたお父様の言葉は、忘れられません。新郎新婦からは「家族6人で結婚式ができました」と心に残る言葉をいただき、諦めなくてよかったと思えました。
JASRAC許諾第
9025417001Y45040号
プランナー次第で夢は叶うから必ず2人の想いを形にしたい
諦めないからこそ起こる奇跡も
「諦めない」それは、プランナーにとってとても大事な言葉。時代とともに結婚式の在り方も変化し、今の状況下では結婚式を取りやめる人が増えるかもしれません。でも、だからこそ私たちが諦めてはいけないのです。プランナーは、限られたことしかできません。しかしその枠を超えるパッションを、私は持ち続けていたいです。
- 諦めず交渉する中で実現できた寺挙式。当日はお母様のお写真が見守る中、自宅で着付けを行い、家族全員でお寺に向かうことができました。
評価のポイント
トップバッター、法被で登場、そして父が娘のために選んだ歌を舞台で熱唱・・・それは単なるパフォーマンスではなく、藤迫さんの人柄と本気を真っ直ぐに伝えるものでした。たとえどんなに時間が足りなくても、たとえ新郎新婦が諦めても、藤迫さんは文字通り絶対に「諦めない」。想いを伝え、粘り強い交渉力で相手の懐に入り、一つ一つ実現にこぎつけていく。その姿に多くのプランナーがあるべき原点を思い出し、強く魂を揺さぶられたことでしょう。