リクルートブライダル総研は、結婚に関する調査・研究、未来への提言を通じて、マーケットの拡大と社会課題の解決に取り組みます。

第10弾 石垣 永美さん EI WEDDING

ウエディングという職業に彩りをもたらせた大会“GWA” ウエディングという職業に彩りをもたらせた大会“GWA”

  • 第8回目のGOOD WEDDING AWARD2018でクリエイティブ賞を授賞

インテリアデザイン専門学校を卒業し、フローリストとして千葉県リゾートエリアに就職。
2008年から約4年間、ディズニーアンバサダーホテル、ホテルミラコスタの婚礼および宴会装花の製作、オリジナルブーケの開発を行う。
2011年から約7年間、沖縄県カフーリゾートフチャク コンド・ホテルにて230組のウエディングを担当一貫性でプロデュース。
2018年独立開業 フリーランスウエディングプロデューサーとしてEI WEDDINGを設立。

同年6月 公益社団法人日本ブライダル文化振興協会主催。
第14回 “The Master of Bridal Coordinator” コンテスト ファイナリスト選出。
同年8月 GOOD WEDDING AWARD2018ファイナリスト選出 クリエイティブ賞受賞。
同年10月 学校法人三幸学園 沖縄ブライダル&ホテル観光専門学校 ブライダル科非常勤講師着任。
学園内イベント、全国ブライダルコンペティション沖縄校作品制作の監修を担当。

海外のように上質で美しい唯一無二のウエディングをプロデュースしたいと願い、ウエディングの経営を致しております。
ブランド名「EI WEDDING」の“EI”はドイツ語で卵、ブランディングコンセプトは「それは愛、あなただけの物語」。
人それぞれの愛するものを大切にし、新郎新婦様の生涯の記憶に残るプロデュースを誓い活動しております。
また、並行してウエディングプランナーを志す若者を育成したいという願いから専門学校での講師業も行っております。

日本トップレベルのホスピタリティ、プランニングスキル、デザインスキルを持ち合わせるウエディングプランナーを沖縄県から生みだすことがもう一つの夢です。
地域に育てていただいた感謝の念を抱き、次世代の子供達に私のウエディングに対する全ての想いを継承していければこの上なく幸せです。

プランナーの仕事を目指したきっかけ

高校生の頃、サッカーに夢中でしたが、引退となる最後の試合が終わった瞬間、夢がなくなってしまいました。「これからどう生きていこう・・・。自分のやりたいことはなんだろう?」
考えがまとまらない私はフリーターになり、その日その日を過ごしていました。
そんな時に尊敬していたサッカー部の先輩が僕と向き合ってくれました。

「同じ母子家庭同士、母親に育ててもらった俺とお前、お前このままじゃダメって自分で分かっているだろ?」

その大切な言葉に私はこのままでは絶対に後悔する。
一生に一度なので学校に通いたいと思い数年間アルバイトや県外での出稼ぎを重ねて進学のタイミングを見ていました。
何がやりたいのか考えた時、幼少期両親の離婚があり、それが自分のルーツであることに気づきました。
ウエディングを作る人になり、人の幸せを紡ぐことが出来れば、自分の経験も誰かの為になるのでは?と考え、専門学校への進学を決めました。

ウエディングプランナーになることへの憧れ、同時にゼロから物を考えることも好きで、デザイン学に興味もありましたので、ウエディング系、デザイン系、どちらからも就職採用実績がある東京のインテリアデザインの専門学校を選びました。

2年間学び卒業間近、尊敬する恩師の先生が、お休みにも関わらず勉強を兼ねて、表参道に連れていってくれました。
その時、洗練された街中を一人の花嫁が颯爽と駆け抜けるシーンを目撃しました。

美しくなびくトレーン、彩り鮮やかなブーケ、後ろ姿ではありますが、街に溶け込んだその姿に衝撃を受けた私は、一目だけでも花嫁を観たいと思い恩師と共に追いかけましたが、街中の角を曲がると花嫁はすでに建物に入られたのか見失ってしまいました。

もう一度花嫁を観ることが出来なかったことは残念でしたが、心から幸せに満ち足りた気持ちとなり、花嫁をこのタイミングで観かけたということは何かのご縁、ウエディングプランナーになるべきという未来が見えたような気がしました。

今思えば学校の仲間達と切磋琢磨し、将来について熱く語り合い競いあった日々は、今現在のクリエイティブな仕事面に活きておりますので、これからの人生も沢山の寄り道をしながら自分にしか出来ないプロデュースを追求できればと考えています。

印象に残った過去の企画(苦労した経験など)

結婚式のお申し込みの時に新郎新婦様からいただくパーソナルアンケート。
新郎様の欄には「母は亡くなっています」、新婦様の欄には「父は亡くなっています」とだけご記入されていました。
その文字を見ていると「なぜそう書いてくれたのだろう?」と深く考えお二人に尋ねることにしました。

新郎様は数年前にお母様が他界してしまい、念願の結婚式を見せてあげることが出来なかったこと、新婦様は成人して間もない頃、お父様が危篤状態を迎え、「今すぐ実家に戻ってきてほしい」とお母様から涙ながらにお電話をいただいたのですが、

「失うはずがない」、
「大切なお父さんがいなくなる事が怖い」、

ご実家に戻ることが出来ずお父様へのご面会は叶わず天国へと旅立たれたそうです・・・。

そんな天国にいる新郎のお母様、新婦のお父様まで「届ける結婚式」にしたい、無数にある届け方の中でベストな方法を一緒に考えてほしいとご連絡をいただき3人で結婚式に向けて走り出しました。
レトロな列車での旅をテーマに沢山の演出を一緒に練り、楽しくお打ち合わせ期間が過ぎていきました。
結婚式前日、新郎新婦様もホテルに到着した時、ハプニングが起こりました。

新郎家の皆様がご到着した際、ご宿泊部屋のご用意が滞り、お父様を悲しませてしまいました。
担当のウエディングプランナーである私はすぐにお詫びに走りましたが、会話を交わしてもらえる状態ではなく、前日までに作りあげたプランニングがガラッと音を立てるように崩れてしまいました。

新郎新婦様は結婚式お打ち合わせ期間の楽しい日々をお父様にお伝えした上で「許してあげてほしい」と伝えてくださり、ご両家のお顔合わせ終了後、お詫び申し上げる機会を設けてくださりました。

お父様は「明日を物凄く楽しみにしているからよろしく頼むよ!」と笑顔でこちらと向き合ってくれました。
俄然、リカバリーの想いに駆られた私は明日こそは最高の一日にしたいと誓い結婚式当日を迎えました。

挙式からパーティまでをレトロな汽車の旅に例えたプランニング。
旅路の途中、ふらっと立ち寄った旅先のように想い出を作りたい。
パーティ会場の屋外(挙式スペース)に他界されたご家族の思い出がこもった遺品を展示。
寂しく振り返るのではなく、駅弁をイメージしたお寿司やお酒を片手にゲスト全員で星空の下、楽しく思い出を振り返るシーンを作りました。

そして、パーティの結びでは一番のシーンをご用意していました。

天国にいる親御様に向かい、あの日伝えることが出来なかった想いを直接伝えさせてあげたい。
お亡くなりになられた親御様がその場にいるような空気感で実現したい・・・。
そう考えると、空と壁を隔てるパーティ会場(室内)ではなく、屋外の真っ白で大きな挙式会場の壁に光を照射。
お二人からのお手紙を映像メッセージとして上映し、空に届けることでした。

しかし、再びハプニングが待ち受けます。

映像編集が完了し、責任者として私がチェックを行った際、映像の編集ミスが発覚。
新郎新婦お互いの他界された親御様へのメッセージの上映タイミングが入れ違いになってしまっていたのです。
このままでは上映ができないと判断した私は、新郎新婦様に、すぐさま状況をお伝えし、映像の再編集が終了するまでパーティのお開き時刻を延ばしました。
結果、2時間近く延びてしまったご宴席。

原因についてきちんと理解したい為、パーティ終了後、
ビデオを作成した企業様とお話をしたいという新郎新婦様からのお申し出も、

「私が全ての責任者であり、お二人のウエディングプランナー。私が全ての説明とお詫びの窓口とさせてください。」

そうお伝えすると、

「石垣さんがそうおっしゃるのであれば分かりました。当日が素敵な1日になりましたことを感謝しています。」

と再びこちらを庇ってくださる運びとなり、専属のウエディングプランナーとして不甲斐なさを痛感し、もっと立派な人間になりたいと更なる精進を誓う日となりました。

天国へ向けた新郎新婦様からのメッセージは本当に美しい瞬間となりました。

(新郎様)
「幸せなこの場を家族一緒に過ごせず残念です。心配ばかりかけてきたけど、少しは安心してもらえたかな。母さん、本当にありがとう。」

(新婦様)
「“ ありがとう ” ・・・。本当はお父さんの最期の時に直接伝えたかったです。あの日言えなくてごめんなさい。二人で幸せな家庭を築いていきます。空から見守っていてね。」

一年後、結婚式の記念日にご家族皆様にホテルまでお帰りいただき、笑顔で再会することが出来ましたことは、新郎新婦様の深い心と愛情によるもので、今でも心からの敬愛をお二人に抱いています。

2017年グッドウエディングアワードに応募した結婚式であり、この時私が感じた「いい結婚式とは?」というGWAからの問いかけに当時こう答えを出しました。

私にとっていい結婚式とは、「終わりなき旅」であり、過去と現在を紡ぎ、未来に何を残し、継承するか・・・。

それを心に深く刻み込むことができ、自身をウエディングプランナーとしてより高みに引き上げてくれた結婚式でした。
そして、ウエディングプランナーという職業に誇りと彩りをもたらせてくれたGWAに感謝しています。

ご自身の仕事にかける流儀・思い

ウエディングプランナーの役割を私は次のように考えています。

「新郎新婦様がこれまで歩んだ人生という音色、その一音をそっと震わせ奏でてあげること。」

そうすることで響いた一音は次の一音を奏で、大切なゲスト皆様との沢山の美しい想い出が音色として広がり、それは一つの音楽のように、人生という名の大切な作品に昇華すると思います。

新郎新婦様を後押しするように背中をそっと軽く押してあげるような感覚でプランニングを行うこと。

自分の根底にある価値観を、「出さず」、「消さず」、でも「あなたでなくてはダメなのです」と、新郎新婦様、私自身、お互いがそう感じること。
個人的にはその感情を大切にしています。

そして、大袈裟に思うかもしれませんが、私にとってウエディングは「仕事」という一つの概念を超えて、生きがいであり誇りであり、例えるのであれば「魂」のようなものです。

だから適度な提案、適度な距離感、適度なプロデュースを行うことが出来ないのですし、妻には「あなたはいつもウエディングのことばかり考えているね」と笑われます(笑)

一生に一度の結婚式、お客様が想像している100%の一日をプロとして叶えることは必須と思いますが、101%、102%、と、時間の許す限り美しく気高い時間に昇華させてあげたいと願い、目の前の新郎新婦様と向き合います。

時に喜び、時に怒り、時に泣き、時に感動を共にする・・・。

人として新郎新婦様にまっすぐ向き合い、お客様としてだけではなく、愛を創造する仲間のような関係でありたい。

その為にはGWA2018年ファイナリスト作品「She loves you」のように、新郎様に対して「こんなにも彼女はあなたのことを愛しているのに」と新婦様の気持ちを伝え、怒る覚悟をしていたこと。
サービス業としては不適格かもしれませんが、私は人間らしいプロデュースを行いたいといつも願っています。

GWA受賞後の変化(ご自身・周囲)

新聞社様、ゼクシィ様や業界媒体関係者様のご取材が続いたのは自身にとって素晴らしい体験となりました。
この時、これまでの沢山の出逢いに感謝致しました。

フローリストとして初就職した際の上司。
どんなに辛い時も私を励まし、自由に活花の練習時間を与え、陰ながら温かく見守ってくれていたこと。

独立起業前、ホテルプランナー勤務時代の社長。
時間をかけて社員一人一人に経営学を粘り強くご教授していただいたこと。

そして妻や家族をはじめとする、この場では語り尽くすことが出来ない沢山の方々のサポートを受けて今ここに辿り着いていることを忘れずに日々精進していきたいと思います。

そして、私自身の変化ですが、GWAを通してウエディングプランナーとして尊敬し、競い合える仲間に巡り逢えた事です。

ウエディング業界自体が昨今では企業間を超えた交流が主となっておりますが、5、6年前は企業間を超えたウエディングプランナー同士の交流は盛んではありませんでした。(というよりどのように連絡を取って良いのか分からない時代でした。)

そのような中、自身のプランニングの棚卸しとウエディングプランナーとしてのスキルアップ、この2つを目的に2016年よりGWAの応募を続けています。

2018年の応募はBEST50の壁を初めて越えることができた感無量の瞬間でした。

ですが、本当の感動はGWA当日に訪れました。

一つ目はGWA発表終了後、過去のファイナリストメンバーを含めた懇親パーティがあるのですが、尋常じゃないウエディングへの熱量に感動を覚えました。

沖縄県内でウエディングプランナー業務を行なっていると、ウエディングを極めたいという一心で来る日も来る日も自分自身と向き合う日々でした。

ところが全国にはこんなにも楽しそうにウエディングに携わっている人達がいる。

何より「この仕事が心から好きなのだ」という感情を強く感じ、これまでの自身の考えが肯定されたような、ホッとした自分がいました。

そして二つ目はGWA発表の朝、同期ファイナリスト7名に出逢えたことです。

「こんなに素晴らしい人達が全国ではウエディングプランナーとして新郎新婦様の人生を紡いでいる」と心の底から敬愛の気持ちをもてるメンバーに出逢えました。

発表直前も8人全員緊張していたはずなのに、どなたが最初に切り出してくれたのか、気がつくと全員で「頑張りましょう!」とハイタッチをしていました。
あの優しさに包まれた気持ちを生涯忘れることはありません。

GWA終了後も東京に再度集まりみんなでお酒を飲みに出かけたり、メンバーのご結婚やご出産の時は、みんなでお祝いをしたりと、「ウエディング」という一つの想いを共有できる仲間となれたことが、かけがえのない財産です。

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