リクルートブライダル総研は、結婚に関する調査・研究、未来への提言を通じて、マーケットの拡大と社会課題の解決に取り組みます。

第4弾 佐伯 恵里さん フリーウエディングプランナー

第9回目のGOOD WEDDING AWARDで準グランプリを受賞 第9回目のGOOD WEDDING AWARDで準グランプリを受賞

2002年より15年間、ゲストハウス、独立教会、レストラン、ケータリングを運営する株式会社レストランスワン(本社:群馬県前橋市)にてウエディングプランナー 、支配人として勤務。主にウエディングプロデュース、新規接客、ブライダルフェアやファッションショーなどイベントのディレクション、WEB戦略、商品企画、店舗マネジメントを担当。傍らで2010年に第一子、13年に第二子を出産。自身の出産経験を接客に生かし、リクルート・ブライダル総研主催の「GOOD WEDDING AWARD」で14年には「ソウル賞」、また16年には「クリエイティブ賞」、19年には「準グランプリ」を受賞。2018年よりフリーウエディングプランナーとして独立。ザ・プロフェッショナルウエディング主催「おめでた婚サポートプランナー認定講座」講師。また、結婚情報誌の紙面やWEBコラムにての制作協力、地元ラジオにてウエディング専門のコーナーを持つなどのメディア実績、セミナーや講演などの実績も多数。群馬のフリーウエディングプランナーチーム「フリースタイルウエディング アンレーヴ」やエリアウエディング協議会「ぐんまウエディングチーム」にも所属しているほか、2018年にはウエディングプランナーのための学びのプラットフォーム「SUEHIRO」を立ち上げ、日本全国でのセミナーや講演、またオンライン講座も運営している。
カップルの人生に寄り添い、「自分たちらしさ=個性」を引き出し二人の未来のための1日を創るウエディングプロデュースを心掛けている。

プランナーの仕事を目指したきっかけ

前職は違う仕事をしていました。実は同じ部署の女性の先輩との関係があまりうまくいかず悩んでいたのですが、思い切って上司に打ち明けると「もう少し頑張ってみてくれないか。実はお前の前に3人、2週間で辞めているんだ。」とのこと。私が少し長く続いたので会社からも期待してもらっていたようです。だけど、やっぱり相性ですから難しくて。それで、退職を決意しました。

一人暮らしで、仕事も失って。何にもなくなった部屋で考えていたのは、「自分らしく生きられる仕事ってなんだろう」・・・。1ヶ月も悩んで行き着いた答えは、「誰かのためにがんばる仕事がしたい」ということ。それと、「感性を活かすことができて、美しいところに身を置きたい」ということ。「そういえば高崎駅の近くに、イルミネーションがキラキラした結婚式場があったな・・・」それまでウエディングプランナーの中途採用は行っていなかった企業だったのですが、たまたま大手証券会社の経営破綻など経済情勢が不安定な時期だったこともあり、オーナーは「自分の意志とは反して志半ばに道を閉ざされている人材がいるかもしれない」と中途採用の募集をかけたところだったそうです。今思えば不思議なタイミングが重なって、ウエディングプランナーになることになりました。

ひょんなことから入社したばかりの頃は週末の館内案内を見て「・・・ご結納って何ですか?」みたいな感じでした。大変手がかかったことと思いますが、当時の支配人や先輩が個別授業をしてくださったり、美容の先生や衣装店の奥さんや司会者さんや聖歌隊、アテンダーさんや音響さんなど挙げたらキリがないくらい大勢の業界の先輩方がひとつひとつ結婚式のイロハを教えてくださったおかげで、私は文字通りスポンジのようにぐんぐんと知識を吸収し、ウエディングプランナーとしての階段を登り始めました。当時まだ式場にはあまりいなかったし言葉もなかったけれど、美容室や衣装店などの個人経営の提携先には、「ワーキングマザー」もたくさんいらっしゃって。結婚の時も出産の時も、仕事のがんばり方、子育てのこと、なんでも私に教えてくださり励ましてくださったのは、この業界の大先輩方でした。

印象に残った過去の企画(苦労した経験)

結婚式の仕事は本当に面白くて。当時流行っていたウエディングのオリジナリティに関する価値観は、今私が思っている「パーソナルな結婚式」というよりも、「とにかく人と違うことを」みたいな雰囲気がありましたので、毎回様々なインパクトのある演出をしていました。花嫁も結婚準備のために寿退社するのが一般的な流れで、結婚式にかけるウエイトも大きいこともあり、とにかく、期待を超える提案ができるようにと様々なアイデアを出していましたね。

そんな中、配属が独立教会に変わり、披露宴の華やかな世界からガラッと雰囲気が変わって、厳粛な「教会結婚式」に深く向き合うことになりました。私が勤めていたのは、イギリスの港町に佇んでいた献堂200年の教会からパイプオルガンやベンチシートなどを移設して建てた教会で、専任の外国人牧師の先生と専属の聖歌隊がおり、本格的なウエディングセレモニーを執り行う教会です。通常のプランナー業務に加えて、挙式の中での先生の説教などを翻訳させていただいたり、ファッションショーや聖歌隊コンサート、ファミリー向けのクリスマス会の企画運営をさせていただくなどそこでまた通常では経験することができない様々なチャンスをいただきました。

その教会が献堂15周年を迎えることとなり、ブライダルフェアを行うことに。軽い気持ちで「理由があって結婚式を挙げられなかったご夫婦に結婚式をプレゼントしましょうか」と提案して、募集をかけました。地元ラジオ局や新聞社などメディアの協力もあってたくさんの応募がありました。想定していたのは「子供ができたので結婚式を挙げられませんでした」という若いご夫婦。もちろんたくさんいらっしゃいましたが、想定外だったのは「20年前、結婚した当時は親に反対され勘当同然に家を出て主人と一緒になりました。あの時にウエディングドレスを着られなかったことを今も後悔しています。ドレス姿を主人に見てもらいたいです・・・」という、今の私と同じくらいの年齢の女性からのメッセージ。これがとても多くて。

それまでの私のお客様は「結婚式を挙げることができる人」が全てでした。だけど、この式場の扉をノックすることができずに何年も何十年もその思いを抱えて生きている女性が世の中にはたくさんいる、ということを思い知らされて、「未来に後悔する女性を一人でも減らしてあげたい」と強く思うようになりました。

今、「おめでた婚サポートプランナー認定講座」という資格講座も持たせていただいておりますが、私の財産とも言えるノウハウを全て出し惜しみせず全力でお伝えしているのは、そんな経験があってのことです。私が直接お手伝いできるおめでた婚の数なんて、微々たるものです。でも、日本全国で、その知識をつけたプランナーさんたちが自信を持っておめでた婚に向き合い、1組でも多くのお客様が安心して結婚式を挙げてくださったなら。後悔を心に抱えて生きる女性を、一人でも減らすことができたなら。そんな思いで続けております。

ちなみに、この講座は、2014年にGWAにてソウル賞をいただいた結婚式、「未来へ」がきっかけで誕生しました。プレゼンを終えて翌朝群馬に帰ろうとしていた東京駅の新幹線のホームで突然携帯が鳴り、この講座を生み出すことになる担当のディレクターさんから「昨日のプレゼンを見て心に決めました。一緒におめでた婚に取り組んでください。」というお電話をいただきまして。本当は妊娠出産経験にクローズアップした発表はしたくないと途中で駄々をこねた私でしたが、今となっては勇気を出してお話しして良かったと思いますし、プレゼンに盛り込むことを諦めずに背中を押してくださったリクルートブライダル総研の金井さんには本当に感謝しています。

ご自身の仕事にかける流儀・思い

よく「佐伯さんのウエディングの特徴ってどんなところですか?」と質問されることがあります。その時にいつもお答えするのは「特徴、特にありません。強いて言えば、自分のカラー(色)を出さないことでしょうか。だから私の結婚式はどれも個性的でカラフルです。」とお答えしています。

結婚式というのは、あくまでも新郎新婦のものであり、その二人らしさ=パーソナルをしっかりと追求してプロデュースしていくと、スタイルもデザインも多種多様になります。私が行うのは自分の判断を常にニュートラルな位置に置いて、「私がこの二人だったら何がベストだろう」と未来を想像しながら、二人が選択するものを提案していく作業です。だから、目指しているのは「ぱっと見て佐伯さんが創ったとわかる結婚式」ではなくて「今日の結婚式はなんだかいつもよりもちょっと素敵」と思ってもらえて、贅沢を言うなら「一体これを創ったのは誰だろう?」と思っていただけるような、見た人の心にコツンと響くような結婚式です。もちろん、まだ私も勉強中ですが。とにかく、自分の色、つまり私の趣味嗜好を出さないこと、二人の個性を引き出し花開かせた唯一無二の世界を創ること、これが最重要項目です。そして教会結婚式を深く学んできたおかげか、「意志表明」である誓いの場を取り入れること、も実はとても大切にしています。

結婚式はイベントではありません。二人の人間がこれからの人生を助け合って生きていくチームを組む、ということをみなさんにお知らせする大切な場です。これは、牧師先生に教えていただいたのですが、人間にとって「約束をする」ということはとても大切なのだそうです。人の心は不確かで移ろいやすいもの。だけど、相手に約束し、自分に約束し、時には自分の神に約束する。結婚式は公の場でその約束を交わすわけですので、その誓いをお互いの胸にしっかりと刻み込むという大きな役割を果たします。またパーティはその大切な儀式を見届けてほしい人、つまり、今までお世話になりこれからもお付き合いしてほしい大切な人をもてなす場。二人の感謝の気持ちがしっかりと伝わるような演出やデコレーションを施し、二人も皆様も心から楽しく過ごせる時間や空気を創って差し上げたいと思っています。

だから毎回、スタイルが違う。それが、飽きっぽい私がこの仕事に魅了され続ける要因なのかもしれません。「本気で、二人になったつもりでひとつひとつのことを考えるから、私、何度も結婚式を挙げているみたいです」とお客様にお話しすると、笑いながら「天職ですね」と言っていただけるようになりました。長年お世話になった企業を退職し、フリープランナーになった今はより発想の幅が広がったわけなので、これからはさらに自由でカラフルな結婚式を創っていきたいと思います。

GWAご登壇後の変化(ご自身・周囲)

GWAには2014年から毎年エントリーしています。その理由は、自分自身の仕事に対する意識が深まったから。エントリーシートを書く作業は、自分の仕事を棚卸しする作業。自分が考えたこと、行動したことを改めて文字に起こすことで、その時の判断や選択が正しかったかどうか、自らの仕事を検証することになります。そして自然と「良い結婚式とは何か?」を問いかけながら仕事に向き合うようになりました。おめでた婚のところで「後悔させたくない」と書きましたが、お客様が後悔する姿を見ることは、力量不足という現実を突きつけられて、自分も絶対に後悔することになるのです。正解のないものだからこそ、新郎新婦にとっても、ゲストにとっても、一緒に作る仲間にとっても、そして自分にとっても、後悔が残らないようにベストを尽くしたいと思えるようになりました。

業界経験も長い部類になってしまいましたが、歳と共に何もせず衰えていくのは嫌ですし、できれば常に自分をアップデートしていきたいと思っています。歳を重ねるということは、量は減るかもしれないけれど、質を上げることでアップデートし続けることなのではないかと、前向きに捉えて。でも、人間はコンピュータと違って、誰かが更新プログラムを与えてくれるのではなく、自分で自分を磨くことでしかアップデートできません。だからGWAのように目に見える目標は、その良い機会だと考えています。賞をいただくのもとても嬉しいことですが、自分を高めて良い結婚式を創る力をつけることが、ウエディングプランナーとして一番の幸せだと思っています。

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