リクルートブライダル総研は、結婚に関する調査・研究、未来への提言を通じて、マーケットの拡大と社会課題の解決に取り組みます。

第6弾 畑 英志さん HMIグループ ホテルクラウンパレス浜松

第6回目のGOOD WEDDING AWARDで準グランプリを受賞

プランナーと支配人 2つの立場でのぞんだGWAでした

大学卒業後、金融の営業の仕事をしていましたが2年で転職。表参道にあるレストランで初めてウエディングプランナーの仕事に付きましたが、業務の大変さゆえに、3年ほどで挫折し、安定した仕事に就きたくて鉄道会社(JR西日本)の子会社に転職。電車の清掃や、点検の仕事をしていましたが、もう一度だけ結婚式に携わる仕事がしたくて、電車の免許の訓練中に退職。和歌山にあるホテルバンケットを運営している会社に転職し約4年間「サービスキャプテン」としてホテルに勤めました。そこから先は紆余曲折ありまして、7年前に愛知県のホテルでウエディングプランナーとして赴任。支配人という肩書もいただき2016年GWAでは「プランナー」と「支配人」2つの立場でプレゼンをさせて頂きました。現在は静岡県のクラウンパレス浜松で婚礼支配人として在籍しています。

プランナーの仕事を目指したきっかけ

大学卒業後、金融の営業マンとして「投資の紹介」をする仕事をしていました。ですが、投資は損得のある話。損を出してしまったお客様から「お前を一生恨む」と言われたのがきっかけで退職しました。どうせ仕事するなら「ありがとう」って言われる仕事がしたいなぁと、就職活動をしているとき、「ウエディングプランナー」という仕事があるよと、当時の彼女(今の妻)に教えてもらったのがきっかけです。専門学校はおろか、当時は友人の結婚式にも参列したことが無かったので、本当に「無知」で、この業界に飛び込みました。その時、ウエディングプランナーの洗礼とも言うべき苦労や葛藤を経験し、挫折してこの仕事から離れたことがあります。もう二度と戻らないと思っていました。でも、離れてみると、辛かったことも思い出されましたが、それと同じぐらい、実は毎日が充実していたことに気が付いたんです。1日の仕事の中で、たくさんの感情や思考が交錯してたなぁとか、無意識にやっていた業務が、実はとんでもないスキルだったんだと気づいたり、なにより、結婚式のあの空気感が忘れられなくて、結局、結婚式の仕事に戻ってきちゃいました。この仕事を目指すきっかけとなったのは、たわいもない理由ですが、続ける理由は結婚式のお手伝いすることが私にとって存在価値だと思えたからです。

印象に残った過去の企画(苦労した経験)

「初担当」の企画です。初担当はプランナーさんであれば全員経験する事だと思うのですが、私の初めてのお客様は、人事コンサルティングの会社役員の方で細かい性格で納得いくまで説明を求める新郎様と、日本で英語の講師をしていたアメリカ人のご新婦様。入社1ヶ月でそんなおふたりの担当になります。施行は4ヶ月後。知識不足はぬぐえない中、お客様からは、打ち合わせごとに「レスポンスが遅い」、「質問と答えがかみ合わない」とお叱りを受け、1ヶ月を過ぎたあたりからは、毎週月曜日になるとクレームのお電話を頂くようになりました。そんな新郎様に恐怖心から、委縮してしまい、仕事が手につかない私の状況をみて上司が、2ヶ月前に新郎様に担当変更の提案をしました。そうすると、新郎様は私の上司にこんな話をしたそうです。
「今担当変わったら、私のストレスは無くなるでしょうが、彼辞めるでしょ?だから私は最後まで、彼に責任を持って仕事をしてほしいと思っています。あなた(私の上司)の仕事は私に担当変更を打診する事ではなく、彼の教育に尽力すべきでは?」と上司を一喝したそうです。
その話を聞かされた時、情けなさと、申し訳なさと、無知は「恥」ではなく「罪」であることを知りました。そこからの2ヶ月間は必死で勉強し、打ち合わせに万全の準備をしてのぞむようになります。で、迎えた結婚式当日、私は結婚式の奇跡を目の当りにします。それは「ガータートス」の演出をしていた時の事。
私の前では常に威厳高く、厳格で、恐怖すら感じさせるあの新郎様が、今、目の前で四つん這いになり、新婦のドレスの中にもぐりこみ、ガーターベルトを咥えて出てきている。それを友人がひやかす。それを見て、新郎は大笑いをして楽しそうにしている。文字にしてみると、結婚式ではよくある光景ですが、この4ヶ月間、ビビりながらお手伝いさせて頂いた身からすると信じがたい光景でした。結婚式って言うだけで、この人はこんなに笑って、こんなに泣いて、こんなに大騒ぎをするんだって・・・。
結婚式終了後、新郎様から、「お疲れ様、ありがとな」と言われ、「ありがとうございます」と「すいませんでした」と繰り返しながら、泣き崩れたのは言うまでもなく・・・。

自分が無知であることで、周りの人が迷惑するんだと気づかされたのと同時に、結婚式の中でしか起こりえない奇跡や凄さ、やりがい、楽しさ、そして、もっとふたりの事を知る努力をするべきだったという悔しさをおふたりから教えて頂きました。
今振り返ってみても、私は新郎新婦様に育てられてきたんだと痛感させられた出来事で、私にとって大切な経験です。

ご自身の仕事にかける流儀・思い

流儀というとおこがましいかもしれませんが、大切にしていることは3つあります
①もしも、あなたが300万円お金を貯めるとしたら何年かかりますか?
②もしも、目の前の新郎新婦があなたの大親友だったら、どんなプランニングをしますか?
③もしも、目の前の新郎新婦があなたにとって最後のお客様だったら、どんな仕事をしますか?

①は、売上とかに直結してくるかもしれません。私も支配人という立場ですので、マネジメントをする上で、売上は軽視できません。でも数字にとらわれ過ぎるのはよくないと昔教わりました。私が新人の頃、婚礼単価が平均を下回ると、上司はこんな注意の仕方をしてくれてたんです「(結婚式が)よくなるようにちゃんとアイテムの案内できてるの?」って。当時、数字が上がらない事だけに対し注意を受けていたら、こんなふうに思えなかったかもしれません。当時の上司と、会社には今でも感謝してます。

②は、文字通りです。大親友だったら、何しますか?私だったら親友を喜ばせたいって考えると思います。ですので、多少無茶するかもと。それが如実に現れたのが、2016年のGWAで紹介した結婚式だったと思います。少しやり過ぎた感じはあったかもしれませんが。

③は、もし自分にとって今日が最後の出勤日で、最後のお出迎え、最後の打合せ、最後の発注、最後の確認、最後の施行、最後のお見送りだったら、いつもと少しだけ気持ちや行動が違う気がします。今でも毎回、私にとって今日が最後と思って仕事をすることにしています。

ですので、会場見学でお越しいただいたときから、ふたりの幼馴染とか親友とか、ご両親とかご家族と同じ距離でお手伝いをするプランナーである努力をするのが、私の流儀ですかね。

GWAご登壇後の変化(ご自身・周囲)

周囲の変化でいうと、「仲間が増えた」ことです。全国に自分以上に結婚式に情熱を注いでいる人がたくさんいることを知りました。自分が今までいかに井の中の蛙であったかを思い知りましたし、受賞者の皆さんと接することで、自分の価値観や、思想、熱量がこんなにも変るんだって知りました。他の受賞者の方のマインドってホント半端ないんですよね!GWAの最終審査会の後に実は歴代のファイナリストが集まる懇親会があるんです。私にとって1年で1番楽しみなイベントの1つです。会社や組織の垣根を越えて、結婚式の事で熱く語り合ったり、時に相談させてもらったり、応援してもらったり。全国であんな空間や文化が根付いてくれたらいいなと思えるほど、最良の時間です。

私自身の変化としては、2016年に準グランプリを頂いた時、社外の様々な方からたくさん評価を頂きました。その経験がスタッフへの接し方や評価基準を変えるという私自身の大きな変化に繋がったと言えると思います。ウエディングプランナーの仕事は、その属性から、つい数字で、評価されがちな職種だと思っています。私自身も立場上、1年に数回、スタッフを評価しなければならないときがあるのですが、評価の大半が数字によるものだったと思います。でもGWAは、売上とか、なんとか率とかは、一切関係ないんですよね。純粋に結婚式のプランニングとか、それを成功させるまでのフローや行動、考え方などが評価基準です。

エントリーして、自分がたくさんの方から「結婚式の始まりからその先」を評価頂いたことで「スタッフの仕事の本質を見極めよう」という心理的な変化がありました。結婚式をお手伝いする事と一緒で、本質を知るには、スタッフの事を深く知らないといけない。数字だけでは見えてこない思想が実はたくさんあって、そこをいかに理解し、結果に結び付けてあげられるかを本気で考えるようになったと思います。
色々お話をしましたが、私にとって1番の変化はウエディングプランナーとして、マネジメントを行う支配人として、2つ立場のターニングポイントになったと実感できたこと。それが1番の変化だと思います。

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