プランナーの仕事を目指したきっかけ
当初、私の仕事選びの軸は、「営業をしたい」 「チームで結果を追い求めたい」 でした。
「営業をしたい」理由は、「営業=きつい仕事」 と捉えていた当時の私にとって、「自身の信条 (“若い時の苦労は買ってでもする”) を体現できるのは営業職」だと思ったからです。
また、「チームで結果を追い求めたい」理由は、大学4年間を捧げたラクロス部での経験から、「チームで結果を追い求める過程には相乗効果があり、自分の実力以上のことを成し遂げられる」と知っていたから。
この二つの軸の延長線上にあったのが、「プランナーのお仕事」。
ただ、この時はまだ、選択肢の一つ。
ですが、ある時、会場さんの模擬挙式に心揺さぶられ、選択肢が、プランナー一本になりました。
数分間の模擬挙式。描かれていたのは、「家族」の温かさや、「親子」の愛情。
わけもわからず涙した自分に驚き、その理由を自問自答すると、自分の人生に「後悔」があったことに気付きました。
「喧嘩ばかりの両親でなく、仲の良い両親の元、育ってみたかった」
仲の良い両親、愛情表現をする家庭に、どこか憧れていたのかもしれません。
そこでたてた一つの仮説。
「幸せな結婚式によって、一生仲の良い夫婦を創れるのではないか」
「仲の良い両親を見て育った子供は、両親を手本に、自身も仲の良い夫婦を創れるのではないか」
理想論だし、夢物語かもしれないけど、そんなサイクルを廻すことが出来たなら、「仕事を通して、人生の後悔を払拭できるかもしれない」そう思ったのが、きっかけです。
現在、ウエディング業界に入り17年目になりますが、この時の選択は間違っていなかったと胸を張って言えます。
ウエディングのお仕事は、新郎新婦様を始め、多くの人の「人生」に触れるお仕事、だからこそ、自分の人生で起こる事全て、いい事もそうでない事も、新郎新婦様に豊かな人生を歩んでいただく為の、糧になる。
そう思うと、自分の人生のどんな瞬間も愛おしく思えてきます。
この仕事をする前よりも、今の方が、自分の人生を愛することが出来ている今、仕事を通して、自分の人生を豊かに出来ている、日々、そう実感しています。
印象に残った過去の企画(苦労した経験など)
今から6年前、プランナー11年目に担当した結婚式が、今も心に残っています。
その結婚式のテーマは、「ケの日 ハレの日」
「非日常と言われる結婚式を扱う私達だからこそ、日常の尊さを決して忘れてはいけない。」
そんな、たいせつなことに気付かせてくれた、新郎新婦様とのお話です。
新郎様は、とても明るくひょうきんで、隙あらば、新婦様や私を笑わせようとするお調子者。
新婦様は、穏やかで落ち着いたお人柄。すぐふざけてしまう新郎様に呆れつつも笑顔で見守る温かい方。
大学の手話サークルで出逢ったおふたり、いつも楽しそうで、幸せそうに見えました。
でも実は、「新郎様の聴覚障害が理由で、新婦様のお母様から結婚を認めて貰えていない」事情があり、結婚式はなんとか列席して貰えるけど、今までも、きっとこれからも「おめでとう」の言葉は貰えないだろう、と。
そのお話を聞いて、私は、「お母様に心からの祝福をして貰うこと」を目指し、お母様に安心して貰う為、「障害を見えなくする結婚式」を創ろうと考えました。
新郎様の話す機会や手話を極力減らし、司会者やペーパーアイテムで言葉を届ける提案。
届ける言葉が多いと手話通訳の出番が増えるから、進行を入れすぎず、歓談メインにしていきました。
でも、お打合せが進む毎にふたりの笑顔は減り、進行表は、ふたりらしさのかけらもない。
「このままではダメだ」と感じ、おふたりの気持ちをあらためて聞くと「楽しい結婚式にしたい」と一言。
思えばおふたりは、会場見学にいらした時から、いつも楽しそうでした。
ふたりが手話で話す時も、目と目を合わせ表情で会話をする時も、いつだって楽しそう。
そんなふたりの姿を見て、「幸せそう」と感じたことを思い出し、お母様にもこの光景を見ていただくことこそが、お母様の安心に繋がるのではないかと思い直しました。
そこで私は、「障害を見えなくする結婚式」をやめ、「障害をも見えるようにする結婚式」にシフトチェンジ。
それは、敢えて障害にフィーチャーする結婚式ではなく、「ふたりの日常を見せる」結婚式。
“ふたりが一緒に話し、一緒に手話で伝える誓いの言葉”“新婦様が話し、新郎様が手話で伝える、協力が生むウェルカムスピーチ”“ふたりの趣味の野球ユニフォームで登場”したり、“新郎様から新婦様へサプライズしたり”ひょうきんでお調子者の新郎様と、そんな新郎様を見て笑いが止まらない新婦様の日常の風景をそのまま届けました。
披露宴終盤、お母様から新郎様に「娘をよろしく」、新婦様に「幸せになってね」と伝えられたことを聞き、この結婚式の答え、そして、これから創っていきたい結婚式のカタチを、また一つ、見出すことができました。
「ケの日 ハレの日」
ハレの日(結婚式)を創る私達は、誰よりもおふたりのケの日(日常)の尊さを知り、ゲストに届けることが使命。
私たちがよく使う「ふたりらしさ」という言葉を、私は、こう解釈します。「ふたりだから」。
ハレの日を通して、ケの日のふたりを知ったゲストが、「ふたりは、ふたりだから幸せ」ということを知った時、おふたりの元に心からの祝福と応援が届き、ふたりの背中を押す、エールになるはずです。
ご自身の仕事にかける流儀・思い
流儀と言っていいかわかりませんが、「自問自答」が井上の武器だと、教えてくれた方がいます。
大好きで尊敬する、芳賀恵理さん(元DB、 現 WAfull WEDDINGS、芳賀恵理さんの仕事の流儀、GWA2020準グランプリ発表)
です。
2015年のGWA初登壇時からずっとサポートしてくださり、井上のプランニングやプレゼンテーションの過程を見てきたからこその言葉に、「あぁ…なるほど」私自身、ストンと胸に落ちました。確かに、私はいつも悩んでいる。
始まりはきっと初めて担当した結婚式。新郎新婦様にご満足いただけなかった事実、「私が担当でない方がおふたりは幸せになった」と感じ、結婚式が怖くなった経験が大きかったと思います。
もちろん、「この経験があったから今の自分がある」という美談にする気持ちは全くなくて、おふたりにとって一度きりの結婚式を心から満足で結ぶことが出来なかった引け目は、今なお抱えています。
そんな、結婚式が怖い一年目の私に、ある新郎新婦様がくれた言葉が、「完璧でないけど、誰よりも一生懸命なあなただから任せたいと思った」でした。
この時から、「一生懸命」が私のアイデンティティとなり、当時から今もずっと問い続けているのは、「自分自身に嘘偽りなく、誰よりも一生懸命と言えるか」ということ。
結婚式が結んだ後、「もっとこうだったらよかった」を、新郎新婦様はもちろん自分自身にも絶対に残さないよう、「本当にこれがベストか」、準備段階も当日も、常に、頭の中をぐるぐるさせ、自問自答しているのだと思います。
そして、根底にある想いは、最終的にいつもこれに行き着きます。
新郎新婦様も、ゲストも、もちろん私達も、全ての人が、「私は、私でよかった」と思えること。
生きていれば、いいこともあるし、そうでないこともある。
その時々の感情は、出来事に左右されるけれど、根底の部分では、「私が、私として生まれたこと。私として、ここに生きていること。」を幸せだと思って欲しい。
そのチャンスが、結婚式の準備期間であり、結婚式当日だと思っています。
ふたりがいい結婚式を挙げる為、だけでなく、
ふたりが結婚式の準備を通して、過去を愛せるように
過去を愛することで、自分の選択に自信を持てるように
自分の選択に自信を持つことで、力強く未来に向かっていけるように
日々、“今”の自分をアップデートしながら、“今”の自分にできること全てやりきっているか、これからも自問自答し続けたいです。
GWA受賞後の変化(ご自身・周囲)
GWAには、過去三回、2015年、2017年、2024年に登壇させていただきました。
初めて登壇した2015年は、ウエディングプロデューサー8年目。
大変だった新店立ち上げも落ち着き、安定してプランニングを楽しめているタイミングでした。
と同時に、大きな刺激や目標があるわけではなく、社内では自動的にベテラン認定される年次。
そんな時、次なる目標を与えてくれたのが、衣川雅代さん(現VIVACE st)でした。
「いのっちにGOOD WEDDING AWARDに出て欲しい」その想いに応えたい一心でエントリーし、ファイナリスト選出。
選ばれた瞬間は大号泣。当時の私にとって、AWARDは、「恩返し」の場でした。
2015年登壇による自身の変化は、「過去の後悔を払拭」できたこと。
プランナーの仕事に就くきっかけでもあった、両親の不仲という、自分の中の負の感情。それがあったからこそ出来たプランニングのプレゼンだった為、準備の過程で、嫌でも自分の負の感情と向き合わざるを得ず。
辛くもありましたが、おかげで過去を乗り越えられたと思っています。それまでの、「一生仲の良い夫婦を創りたい、創らなきゃ」という、ある意味切羽詰まった想いから、「愛は見えなくても実はそこに存在していること、愛を見えるようにすることで、また結び直すことが出来る」と、想いが進化し、心が少し自由になれた気がします。
また、想いが「伝わる」喜びを知れた年、社外に最高の同期が出来た年でもありました。
2017年登壇時は、2015年とは真逆で、「伝える」ことの難しさを痛感した年でした。
「今この瞬間、プランナーをやめても悔いがない」とまで思えた結婚式にも関わらず、プレゼンで本質や想いを伝えることが出来ず、とても悔しい経験となりました。ですが、2015年に「伝わる喜び」、2017年に「伝えられないもどかしさ」と、両方経験出来たことで、プランナーとして、「ただ、いい結婚式を創る」だけでなく、「いい結婚式を、伝える」力を付けなくてはいけない、と新たな視点で目標を持つことができました。また、2015年に引き続き、2017年も、やっぱり、一緒に登壇したファイナリストの人間力が高くて。素直に、凄いな…素敵だな…と感じていました。
今度もし登壇出来るならば、GWAのOBOG、同期の皆様同様に、あの場所に立つに値する人間力をつけて、戻って来たいと感じました。プランナー10年目、下手したら驕ってしまう可能性もある年次に、いい意味で自信を失い、プランナーとして、人として、一から再スタート出来たこと。社外に、プランナーとして、人として、尊敬できる人がたくさん出来たことは、私の人生でも指折りの幸運です。
そして今年、2024年の登壇。あらためて思ったのは、この仕事は本当に「終わりなき旅」だということです。
結果はありがたくもグランプリをいただきましたが、プレゼン準備を通して棚卸しする中で、「もっとこういう提案も出来たかも」と、プランニングに次なる課題が見つかったり、「もっとこんな想いを届けたかった」と、伝える力に課題が見つかったりしていて、結果、心から満足できる日は来ないんだなと痛感しています。
これから先も、「いい結婚式」の答えは、新郎新婦様の数だけ、ゲストの数だけあって、私達ひとりひとりによって、解釈もアプローチも異なって、だからこそ、楽しくて、難しくて、まだまだ旅を続けてしまうんだなとしみじみ感じています。
ただ、総じて言えるのは、GWAがあったから、プランニングを科学するようになって、プランニングを科学したから、その奥深さを知り、まだまだ掘り下げられるんだと可能性を見出せたということ。
GWAがあったから、自社を超えて業界に、尊敬する先輩が出来て、共に切磋琢磨したい同期が出来たということ。
こんなにも素敵な人達がいるウエディング業界にいることが、心から誇らしいです。
これからも、GWAを通じて出逢った尊敬する先輩方、同期、そしてこれから出逢う仲間と、想いを共感し、時に刺激をいただきながら、終わりなき旅をご一緒できることに心から感謝し、「ウエディング」という仕事に、恩返しをして生きていきたいです。
2008年、(株)ディアーズ・ブレインにウエディングプロデューサーとして入社。宇都宮、千葉の自社施設勤務の後、都内を拠点に他社施設でのプロデュースを経験。現在は、エグゼクティブウエディングプロデューサー 兼 司会者として、新規接客、打合せから当日のプランニング、司会者、等の接点をいただき、結婚式に携わらせていただいております。