リクルートブライダル総研は、結婚に関する調査・研究、未来への提言を通じて、マーケットの拡大と社会課題の解決に取り組みます。

第3弾 上條 智広さん(パレスグランデール)

第7回目のGOOD WEDDING AWARDでグランプリを授賞 第7回目のGOOD WEDDING AWARDでグランプリを授賞

結婚式に人生を変えられた男の話

2006年2月自身の結婚式を挙げ、9月パレスグランデールに入社。
ウエディングプランナーとして約550組の結婚式を担当し、現在は新規営業担当として奮闘中。

プランナーの仕事を目指したきっかけ

「ウエディングプランナーになりたい!」と思ったことは一度もありません。
幼い頃から将来なりたい自分像ややりたい仕事はありませんでした。
やりたいことや夢がある友達が羨ましかったし、カッコよかった。
・サッカーで勝負したい友達は、強豪の高校へ進学
・建築の世界に行きたい友達は、その道に強い理系の大学を目指す
・海外で働きたい友達は、独学で英語の勉強をし、留学をステップにする

そんな中、私は何の為に勉強をしているのか、何の為に進学をするのか全く分かりませんでした。
周りに合わせ、流され、意志のないままに大学まで進みました。
大学時代はアルバイトと海外への旅を繰り返しました。
大学4年、やりたいことのない私は就職活動をせず、単身キューバへ。
カリブ海を横目に歩いていると、レトロなオープンカーに乗っている新郎新婦と遭遇。
後になって気づいたのですが、これが人生初のウエディングとの出会いでした。

その後大学を卒業し、山形のNPOに従事する中、妻と出会い、結婚。
そして結婚式を挙げることになりました。
結婚式に参列したことのない私は、結婚式の憧れも想いもありませんでした。
が!しかし、結婚式当日が私の人生をとても大きく変えました。
目の前にいる人たちは、今までの私の人生において欠かせない人たち。
しかも、お祝いを包み、遠方からわざわざ休みを使って集まってくれました。
そんな私の大切な人たちと、妻の人生で大事な人が同じ空間にいる。
こんな幸せな時間は一生ない。結婚式はこれまでの人生で最も感動した出来事でした。
結婚式から半年経ち、転職先を探していた時に、見つけてしまったんです。
パレスグランデールの求人を。
何かの縁だ!と感じ、エントリーし、採用いただきました。
私のウエディングプランナーは上司となりました。
縁もゆかりもない土地で始めたウエディングの仕事にどっぷりとハマり14年目を迎えます。

印象に残った過去の企画(苦労した経験)

産まれた病院から高校まで一緒の空間で育った新郎新婦。
同じ時間を共有していたふたりが再会し、結婚。
そして結婚式を挙げることになりました。
新郎は経営者である父親の仕事を継ぐ2代目。
そのため、ゲストは自身の繋がり以上に父とのつながりが多い人だらけ。
“何の為に結婚式をするのか”どこか結婚式が他人事のように感じているように見えました。
私は結婚式が自分事にならない新郎の表情に寂しさを感じ、変化のキッカケを探していました。

結婚式は準備から楽しむもの。
よりふたりらしい結婚式にする為、提案書を作成しました。
大雪の降る2月に頭に雪を積もらせ新郎新婦のご自宅へ資料を届けました。
テーマ“Back to School”と題し、“過去に遡る結婚式をしよう!”とプレゼンを行いました。
豪雪の中突然現れたプランナーにふたりは驚いていましたが、これがキッカケとなり、
結婚式がどんどんとふたりだけのオリジナルなものへと変化していきました。

オープニングはコンセプトを伝えるムービーを提案しました。
絵コンテを起こし、シナリオを書き、産まれた病院から育った家、
共に過ごした小学校から高校まで学校に許可をとり撮影を行いました。
披露宴の入場と入学式をリンクさせる為、ご両家親御様のもとを伺い、
ふたりには内緒で花のアーチをつくっていただきました。
また、年齢層の高いゲスト全員が楽しめるよう、
結婚式当日と同じ日の新聞を図書館で集め、号外的に配りました。
ふたりには、幼い頃一緒に遊んだ竹馬や糸電話などを手作りいただきました。

やらなければいけない義務感の結婚式は、
自分達らしいオリジナルな結婚式へと変化を遂げていきました。
モチベーションの低い状態からだんだんと熱が上がり、
打ち合わせに積極的になり、パートナーとの会話が増えていく。
その時間こそが夫婦の絆を強く深いものにする。
プランナーの想いと行動があれば、その状態を必ず創ることが出来ると確信した企画となりました。

(本企画内容についてGWAファイナリストレポートでもお話頂いております)

ご自身の仕事にかける流儀・思い

「ゲストに嫉妬」
結婚式当日を迎えると毎回沸き起こる感情があります。
本当に幸せそうな表情。涙を流しながら笑っている。
友達と肩を抱き合って笑う新郎新婦を見て、心から嬉しい。
しかしその反面、なんでこの笑顔を打ち合わせで引き出すことができなかったんだろう。
私は新郎新婦のゲストと同じ関係ではないから、当たり前のことです。
でももっと楽しい打ち合わせが出来たはず!あの笑顔を引き出すことが出来たはず!
と思ってしまうんです。
だから毎回ゲストに嫉妬するんです。ゲストは最大のライバル。
それが打ち合わせの原動力となっています。

「ありがとうの大きさ」
結婚式の仕事は、お客様からいただくありがとうの大きさを意識しなければいけません。
私たちはふたりの人生で一度きりのスタートラインをお手伝いする。
日常的に例えばジュースを購入する間にある“ありがとう”と
結婚式を迎えおひらき後にいただく非日常の“ありがとう”では大きさが異なると思います。
お客様がこんなにも深々とお辞儀をし、
“ありがとう”の気持ちをいただける仕事はなかなかないと思います。
私の娘が手術をし、無事退院出来た時に先生と看護師に伝えたありがとうと同じサイズ感。
業種は全く異なりますが、この医師と同じ大きさのありがとうをいただく仕事だと思います。

「小さなわざわざありがとう」
打合せ時に“わざわざありがとう”をもらうことは意外と難しい。
・明日届く郵便物を今日持っていく
・心配事がないか電話をする
ありがとうに“わざわざ”がつくには、行動が主体的で速いこと。
ちょっとした小さな連絡や気遣いでいただける言葉。
その行動の積み重ねが信頼関係へと繋がっていきます。
特に親御様にはこの行動がとても大切になってきます。

「繋がり続ける」
結婚式を迎えた後、一般的に新郎新婦と担当者の関係は疎遠になります。
ウエディングプランナーの役割はそこで終わります。
それでは寂しい。あんなに何度も通い詰めてくれたのに、
一生懸命時間をかけて一緒に準備してきたのにそれでは切ない。
結婚式で終わる関係ではなく、結婚式から始まる関係でいたいと思います。
結婚式後に起きる、新たな節目は沢山あります。その人生にも寄り添い続けたい。
そんな想いから挙式後のお客様に定期的にお手紙を出し、関係を継続しています。
人生の節目である、お子様のお食い初めや初節句、親御様の年祝いや退職など
様々な記念日を今でもお手伝いしています。
結婚式から10周年のサプライズを奥様にナイショで旦那様と密談することも増えてきました。
その関係は、ご家族やお友達の結婚式の紹介へと繋がっていきます。
人の幸せに携わり続ける。こんなにも幸せな仕事は他にないと思います。

「いつか必ず」
お客様の結婚式を通し、私だけでなく、我が家にも影響があります。
・娘が通う中学校の先生はお客様だった
・娘が入院した先に真っ先に駆け付けてくれたのはお客様だった
・妻の店の常連客はお客様だった
もはや私だけの人生ではなく、私の家族の人生にお客様が携わっている。
目の前の結婚式。その先にあるお客様の人生。
そして私たち家族の人生にも繋がる。
いつの日か必ずこの出会いが自分たちのもとに還ってくる。
いつかどこかで娘達がお世話になるかもしれない。
そう考えると、手を抜くことは出来ません。

GWAご登壇後の変化(ご自身・周囲)

「家族」
GWA2017のプレゼン時に妻と2人の娘がサプライズで応援にきてくれ
グランプリ受賞の瞬間にいました。
休みは平日、土日は家にいない父親の仕事は理解出来なかったと思いますが、
ようやく何者なのか分かってくれた様です。
そして嬉しいことに次女の夢が“ウエディングプランナー”になりました。
今はもう変わりましたが(笑)
一瞬でも彼女の人生に結婚式の仕事が魅力的に映ったのであれば
父親にとってこんなにも嬉しいことはありません。
テレビや新聞、雑誌等メディア掲載が増えたことで、
友達や地域の方から私のことを尋ねられることも多いようで、
それが恥ずかしながらも嬉しいようです。

「地域」
近所のおじいちゃんおばあちゃんが祝福の一席を設けてくれました。
私たち家族は7年前に移り住んできた新参者なのですが、地域の方が快く受け入れてくれました。
更に受賞がよりよい関係へと繋いでくれる材料にもなりました。
また外部でのセミナー講師の依頼が増え、他業種に向けプレゼンを行う機会が増え
今までとは異なるネットワークが出来ました。
中学1年生への職業講和を年一回担当し、
将来のウエディングプランナー育成に繋がればと思います。
1年生で講和を聴き、3年生でインターンにきた学生もいます。
結婚式が減る中、結婚式の魅力を未来の新郎新婦に向け伝える。
これも今結婚式に携わる人のミッションだと思います。

「仲間」
GWAをキッカケとして全国に多くの仲間が出来ました。
地域も会社も年齢も違う、“結婚式が好きである”という共通のキーワード。
会えば話は途切れることなく永遠と続く。
わざわざ山形まで遊びにきてくれる仲間も増え、
語り尽くすことでお互い新たな一歩を踏み出すことが出来る。
そのネットワークで講師依頼を受け、先日初めて他社のプランナー向けの研修を行いました。
社外の私を心から迎え入れてくれ、本当に嬉しかった。
また社内メンバーが燃えてくれたこと。
私は初代グランプリの小島の背中を追いかけ、グランプリを目指しました。
今度は私の背中を見た後輩が、ファイナリストとなり、ベスト50の常連になりました。
私が引き継いだ火を消してはいけない、何が何でも次の世代に灯す。
その想いが形になってきました。
次がその次へ・・。確実に道が出来てきていることが、心より嬉しいことです。

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