こんにちはウエディングプランナーの福岡かほるです!
プランナーの仕事を目指したきっかけ
就職活動中、「私はどんな仕事だったら楽しく幸せに働けるだろうか、働いている自分の理想像ってなんだろう」と考えたとき、ふと中学生の頃に列席した、いとこの結婚式が頭に浮かびました。
結婚式後に、なぜか「ウェディングプランナーになりたい」と口にしたことを思い出しました。
それをきっかけにウェディング業界に興味を持ち、新卒でウェディングの会社に入社。
前職の会社説明会では、社員の皆さんがキラキラとした表情で仕事について語っている姿が印象的で、「ウェディングプランナーって本当にやりがいのある仕事なんだな」「こんな方たちと一緒に働きたい」と強く感じたことが、この仕事に就く決意につながったのだと思います。

「八丈島に移住したい」という想いで一度はウェディング業界を離れたものの、地元に戻り、再就職を考えたときに改めて「目の前の人の幸せを本気で考え、誰かのために自分ができることを全力で取り組める仕事は、やはりウェディングプランナーしかない」と気づきました。
そして、ウエディング業界で働く人たちが本当に好きで、もう一度その方々と共に働きたいと、フリープランナーに転身しました。
ウエディングの仕事を離れたからこそ、ウエディングプランナーの仕事の本質に気がつき、もう一度真剣に向き合いたいと、再びこの道を選びました。
印象に残った過去の企画(苦労した経験など)
どの結婚式も色濃く残っていますが、やはりGWAでもお話しした「八丈島WEDDING」です。
約3年間八丈島に住んでおり、新郎新婦が友人だったことから、ご縁をいただき企画がスタートしました。
「これから生きていく八丈島で結婚式をしたい」という新郎新婦の想いを叶えるべく動き出した1日。
ただ、引き受けたものの、結婚式文化がない場所での結婚式はとても大変でした。
会場、料理、備品、スタッフ・・・
いままで結婚式を創る時
当たり前に用意されていたものがなく、ゼロから探していく必要がありました。
普段ならすぐ近くに頼れる人がいるけれど、八丈島では仲間もいないところからスタート。
途方も無い、ゴールも見えない状況に逃げ出してしまいたくなる時もありましたが、「ないからしょうがない」ではなく「ないならどうする」と問い続け、1つずつ1つずつ物と人を集めていきました。
GWAではお伝えしきれなかったのですが、前日にもハプニングがありました。
結婚式前日には交通手段である船も飛行機も、天候が悪く全て欠航してしまうという事態が発生しました。
ゲストが来られないかもしれないという不安を抱えながら、でも絶対に大丈夫と信じて、準備を進めました。
万が一来ることができなかった場合に備え、生配信ができるように進め、「今できること」「最適解は何か」をひたすらに考え続けていたことを今でも鮮明に覚えています。
積み上げて創り上げた当日の景色は、一生心に残る情景です。
この結婚式を通して、考え続ければ、諦めずに向かい続ければ道は繋がっていくということを体感しました。
そしてもう一つ、「結婚式を創る仲間の存在の⼤きさ、⼤切さ」を改めて教えてもらいました。

苦しい時、地元にいる仲間がくれる言葉に何度も何度も助けられました。
私にはSOSを出したらいつだって⾶んできてくれる、助けてくれる、信頼して1⼈で⾶び込ませてくれる仲間が愛知にいるんだ、だから⼤丈夫だと⾃信を持ち、立ち続けられました。
そしてこの結婚式を共に創り上げた八丈島の方々。
初めはバラバラだったチームも、気がつけば同じ方向を向く仲間になっていました。
それがどれだけ嬉しくて心強かったか、あの感覚はきっと一生忘れられないと思います。
仲間がいることで強くなれるし、同じ想いを持った⼈が集まれば、どこでも結婚式は創ることができると確信しました。
私の想いを汲んで、困難な状況でも諦めずに挑戦してくれた仲間に、遠く離れた地から⽀えてくれた仲間に、⼼からの感謝をしています。
⼋丈島の結婚式を経験したから今の私がいます。
これからも⼀緒に結婚式をつくる仲間への感謝とリスペクトを持ち続け、そしてその仲間と想いを共有できる1⼈であり続けたいと強く思います。
ウエディングプランナーとして大事なことを教えてくれた大事な1日です。

ご自身の仕事にかける流儀・思い
「新郎新婦の朝起きてから寝るまでを考え尽くすこと」です。
この言葉は、ある司会者の方がくださったもので、以来ずっと大切にしています。
結婚式の約4時間だけでなく、新郎新婦は当日の朝は、どんな気持ちで目覚め、どのように準備を進めて会場に向かい、ゲストと過ごし、家に帰り、眠りにつくのかという1日全体を考えることです。
新郎新婦がどんな思いで過ごすことがベストなのかを想像しています。もちろん、実際の新郎新婦の気持ちは想像に過ぎないかもしれませんが、提案の仕方や声のかけ方、プランニングそのものが大きく変わってくると感じています。
まだまだ試行錯誤ではありますが、これからもこの姿勢を大切にしていきたいと思っています。

もう1つは、結婚式が結ぶ最後の1秒まで、諦めないプランナーでいることです。
2人がどんな1日にしたいのか、どんな思いでこの日を迎えたのか1番知っているのは、プランナーである私です。
プランナーが諦めてしまったらきっとその先は広がりません。
事前に作った進行表にとらわれず、「もっとこうした方がいい」と思えば、勇気を持って、変更できるその1歩を踏み出す覚悟を常に持ちながら、お2人にとってベストな判断を最後まで追い続けたいと考えています。
「結婚式は生きるを肯定するもの」だと思います。
結婚式通して新郎新婦が自分を受け止め、自分の人生を誇りに思えるような、そんな日を創れるようなプランナーを目指しています。
GWA受賞後の変化(ご自身・周囲)
GWAに登壇した中で、1番大きかったのは、自分の想いや目指す未来を言語化したことで、自分の軸が明確になったことです。

それまで漠然としていた「自分が結婚式を創るうえで大切にしたいこと」や、「なぜこの仕事を選んだのか」という根本的な想いにしっかりと向き合う時間を持てたことで、結婚式のあり方や自分自身の考え、姿勢を見つめ直すことができました。
正直GWAまでの私は「向き合う」ことに苦手意識があり、避けてきた部分も多かったと思います。
しかし、この機会を通じて、向き合うことの大切さや具体的な方法を学びました。
結果、私自身だけでなく、新郎新婦との向き合い方にも変化があるように感じています。
また、自分がどれだけ多くの人に支えられているかを改めて実感しました。
準備期間から登壇後に至るまで、驚く程たくさんの方に助けていただき、また、背中を押してもらいました。
今いる環境が自分にとってどれほど大切でありがたい場所であるかに気づき、周囲への感謝の気持ちがさらに深まりました。

GWAは、私にとって結婚式や仕事だけでなく、自分自身と向き合い成長するきっかけを与え、そして大切にしていきたいことをも教えてくれた、そんな特別な経験です。
大学卒業後、ブライダル会社で約3年半経験を積んだ後、八丈島へ移住。その後地元愛知に戻り、再びウエディングプランナーの道へ。現在は、フリープランナーとしてオリジナルウエディングチームに所属。人生の糧になるような“一生心に残る情景”をチーム一丸となって創っています。